20110901

二つの作品

二つの作品のこと

津田貴司「風の輪郭」(2011, STARNET MUZIK)

 先日のこと、窓の外から聞こえてくる喧噪の中に音楽のような音がありました。どこか高いところから聞こえてくるぼんやりと透き通った音に、何だろう、いい音だなと思いながら、しばらく聞き入っていました。その後、その音の正体はiTunesから微音で再生されていた、津田貴司さんの「Anima」(hofli名義の作品)の一曲であったことに気づきました。「なあんだ」ということです。しかし、このできごとで「Anima」の音楽の奥に気配のようなものがあることを知りました。


 2003年発表の「Anima」は、沖縄・八重山諸島でのサウンドスケープ(音の風景)を変調し、時間の経過に沿って構成されている作品(現在廃盤)。津田貴司さんの作品には、しばしば環境録音の音源が使われることがありますが、それは音楽の「素材」としてではなく、自身の知覚体験を描き留めた心象スケッチ ─── はっきりと聞こえる波や虫の音以外にも存在する、その環境を覆うぜんたいの「気配」。作品の中に残るぼんやりとした八重山の気配を、微音の「Anima」と一緒に聞こえてきた窓の外の音から気づき、これは作者自身の体験に近いことなのかもしれないと感じました。


「 目 に 見 え ず   音 に も 聞 こ え な い も の 」
 津田さんの音楽作品は、主催するワークショップ「みみをすます」や、ふだんのリスニング体験と深く繋がっているようです。「ふだんの」というのは、特別な聴力で聴いているということではなく「今日は本が読めるくらい月が明るい」とか「風が吹いて、汐のにおいがする」ような身近な変化への関心。そういう天候や時間の経過や、もっともっと小さな存在にも耳を傾けているのだと思います。8月にリリースされた新作「風の輪郭」は、「Anima」「Biometeor」など、津田さんがhofli名義で製作してきたサウンドスケープに基づいた作品の集大成とも言える作品。環境音が主軸にありますが、音として録音されてない、肌で感じられる湿度や風の流れ、周囲のさまざまな現象が音の中に存在しているかようにきこえます。あくまで音楽フォーマットですが、目に見えない音やにおいが感じられる「写真集」の佇まい。


 レーベルは、「湿度計」やラジオゾンデのファーストアルバム「sanctuary」と同じSTARNET MUZIK。益子STARNETの建物の中、ふたたびその空気をふくんで録音された音は、くさはらの写真が使われたアートワーク、散歩道を辿るような曲タイトルで(コロポックルの世界を想像します)、ひとつの作品として完成されていて美しいです。


sample

TAKASHI TSUDA / hofli
津田貴司による音響写真集 - TOWER RECORDS ONLINE
STARNET MUZIK
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AOKI,Hayato「morning october」(2008, Grainfield)

 2006年10月7日 haco(神奈川・葉山)で早朝から行われた「朝の音楽と朝食の会」でのライブ演奏を編集した作品で、もう一枚の「morning july」と同時に発表されました。青木隼人さんはギタリストとしての存在、その印象が強いですが、この「morning october」では、クロマハープやメロディオンを演奏されています。淡々としたシンプルな演奏が軸になっていて、朝の冷ややかな空気に浸透しています。私は、この作品を聴いて、その音楽性にハッと気づかされることがありました。


「 楽 器 に 音 楽 を 奏 で さ せ る 」
 楽器を演奏しているうちに、そのまま楽器やその部屋に好きなように音を奏でさせて、そっと椅子を離れて、窓の外から覗いて、自らも聞いているような演奏者として独特の存在感 ─── それは楽器にとっては、黒子とも言えるのかもしれない。ギターやハープ、ピアノという楽器のもつ音やかたちに逆らわずに、その音の素直さを響かせていて、演奏者としての楽器との関係性や距離のはかりかたに、この音楽家・青木隼人さんらしさがあるように感じます。もし(たとえば、)石ころを手にとっても、同じ方法で音楽として奏でるのでしょうか。そして、青木さんのすべての作品には、抱えている楽器や周囲の風景音が「音楽」になった瞬間への、その祝福を感じます。


 この「morning october」は音源の再構成(青木さん曰く「音の剪定」)を、津田貴司さんが担当されていて、PREラジオゾンデとして聴くことも楽しいです。


sample

AOKI,hayato
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 「風の輪郭」と「morning october」を交互に。お二人は一緒にラジオゾンデとしても活動されていますが、この2作品を重ねて再生したらラジオゾンデの音楽になるかな(ならないだろうな、)と想像しながら。この2つの作品の中にある空気と音の記憶が漂います。この二人、それぞれが際立った音楽家が一緒に音楽を奏でていることは、ほんとうにおもしろいことだと思います。(おもしろいというか…、他に言い方が思いつきませんでした…)

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